空っぽの口座をただ、見ていた

呟き

5月から1ヶ月かけて5倍にした口座が、先週金曜日に空になった。

時には睡眠時間を削って、時には祈り、時にはローソク足が伸びるようにフーフーしながら育てた希望の芽が、摘まれた。

夢をのせた私の大事な10,000円が、消えた。

たかが10,000円と思わないで欲しい。我が家5人家族の1週間分の食費なのだ。

それを、私は、失った。

土日はユーロドルの過去チャートをひたすら見ていた。ローソク足が一方向に行ったきり、戻ってこない事がどれだけ頻繁にあるのか。

ない。ない。ないじゃん!!

Twitterでも、こんなの見たの初めてと、有名トレーダーさんが言っていた。

でも。

自分の意見や分析をいくら言っても、チャートが全てなんだ。チャートが上がるか下がるが、それだけなのだ。

だから、トレーダーの出来る事は、優位性の高い伸びていく方にポジションをとり、読み違えたら損切りする。

それだけのこと。

そして、指標時とか優位性の読めない時は入らない。ファンダ分析もできないくせに、なぜ指標時にポジションを取ったりしたんだろう?

まるで銃撃戦に丸腰で入った歩兵のように、私のポジションは全部刈られた。即死。

あと私のパート給料日まで5日。それまでは絶対入金しない。

1ヶ月10,000円。それしか資金は無い。

この低資金で勝負に出ることは、無謀だと思う。でも、これしかない。底辺庶民は、こうして希望という名の何かにすがるしかないじゃないか!

『人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である』

フランスの思想家 パスカル

この世界で私という存在は、「一茎の葦」のように取るに足らない、弱くちっぽけな存在にすぎない。けれど「考え続けることが出来る葦」なのだ。私はこの思考によって、自分の可能性を無限に広げられるし、地球や宇宙、この世界の想像できるあらゆる事象を内包できるのだ!

ここに私の人としての尊厳がある。これは自分で放棄しない限り、誰にも奪われる事はない。偉大さがあるという。この句は聖書の「傷ついた葦」(「イザヤ書」「マタイ伝福音(ふくいん)書」)に由来するらしい。最初ってすごいね。

というわけで、デモトレで今週はやって行きます!!

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